はじめに
この投稿では、私が手ほどきを受けている竹中先生から聞いた話や、そこから感じたことを徒然に書いていきます。
基本、文字だけになるので読み物が苦手な方はご了承ください。
今回は、第二次世界大戦戦前、戦後の日本人の書の違いについて
一部過激な内容も含まれますので、気分が悪くなられた方は読み飛ばしていただいても大丈夫です。
戦前と戦後の書
戦前の書
戦争があった1940年代から前の話。
基本的にはどんな人も芯のある字を書いていたそうです、
というのも、戦前の日本の学校では2000年代の学校と同じで毛筆の授業。があり、教師として子どもに教えていた先生方は綺麗な字を書ける人しかなれなかったそうです。
私:「若干、そうなんだ~。でも本当なのかな?」と思いながら。。。
実際、広島や長崎、鹿児島の知覧など1945年前後の日本人の毛筆で書かれた手紙は達筆なものしか見ることがありません。
もしかしたら、そうでない筆を書く人がいたかもしれませんが殆どの方の手紙や文などでは達筆なものを見ることができます。
少なくとも、一人ひとり、自信の名前はとても綺麗に書けていたそうです。
※※※※当時は日常的に筆を使っていたのでその影響からかもしれないですね。※※※※
また、当時学校で使われていた教科書はなんと、先生方の肉筆で書かれたものを版画して作られていた層です。
日常として、達筆な人の文字を観て育ち、またパソコンもないので常に見真似をして生活する環境だったかもしれません。
戦後の書
では戦後の書はどうなったのか。
戦後は広告の会社が乱立するようになっていき、版画から活版印刷、印刷機の性能が向上していったことにより筆を日常で使う機会が少なくなっていきました。
学校ではもちろん毛筆の授業、今でいう書写、習字、書道の授業があるので手習いを受けるのですが、印刷技術の向上とともに手書きの教科書が廃れました。
そのためか、常に達筆な筆の字に触れる機会がなくなり、戦後の書は「芯のないふやけた文字」になっていった。と先生は話をされていました。
また、戦前の男児が戦後になると猛々しい部分。人として立派と思われる気品。いわゆる武士道に基づいた日本人としての教示。そういったものでしょうか。
ここでは「真の日本人」としますが、「真の日本人」が次第に少なくなり、「なよなよした日本人」が増えていったそうです。
日常にいたはずの「真の日本人」が少なくなっていったことで、それを見真似する人も次第に少なくなったためかなと思います。
また、「真の日本人」は達筆な人しかいなかったため、同時に筆遣いの継承も弱くなっていき「芯のないふやけた文字」が増えていったのかな?と思っていました。
終わりにの前に
「真の日本人」。
話し始めはなんのこっちゃ。。。と思っていましたが、確かにな~と感じていました。
この話には続きがありまして、、、この後に日本人の書の練習の順番についての話がありました。
実は戦前と戦後で日本語を練習する順番が違っているそうです。
話を聞きながら、「確かにな~」と感想を抱いていました。
戦前の筆の練習は「カタカナ」から始待ったそうです。
「カタカナ」は「ひらがな」よりも曲線が少ないため、点画の基本を練習には最適だったからです。
どんなものも基本がしっかりすることで芯のある作品や人になるため、この流れで書写、書道の授業が行われていたのは流石だなと感じました。
また、戦前の筆の授業では
今の楷書で基本となる「トン・ツー・トン」の書き方が基本ではなく、
隷書の書き方の基本になる「トン・ツー」の書き方が基本だったそうです。
※※※こればかりは伝聞で資料を確認していないため、近いうちに資料を調べてどっちが先だったのか、追記していきたいと思います。※※※
そのためか、戦争前後を撮影する映画やドラマなど、小学校は習字の授業でできた作品を黒板と反対の壁や廊下の壁に飾ったりすることがありますが、どんな文字が書かれているかで、その映画、ドラマで指導した書道の先生の知識量?などが問われると話されていました。
終わりに
ただただ、先生の話をまとめながら、時々私の感想を挟むだけになりましたが最後まで読んで頂いた方、ありがとうございます。
私もこういった歴史の話は無知ですので、いったん記事に纏めるだけに留めますが、本当でしたら歴史を知ること。特に書家や書道家として活動されている方はそういった情報を持っておくのも大切だなと感じていました。
いずれは書家として活動したいため、私も知っておくことは大切ですね。
ということで今回はこれくらいにして、また次の話など、何となくでも読んで頂けると幸いでございます。
それでは!!